フェジンをブドウ糖液で希釈する理由

点滴で投与される多くの薬剤は生理食塩水で希釈されますが、生食に混ぜてはいけない薬剤も存在します。

その一つがフェジンという静脈注射用の鉄剤です。

フェジンは、鉄コロイドが安定しやすい環境を維持するために、ブドウ糖液で希釈されます。

この理由を理解するため、化学で学習したコロイドの概念や、鉄剤の特許明細書の内容にも触れ解説していきます。

コロイドとは

コロイドとは、微小な粒子が他の物質の中に均一に分散している混合物のことを指し、この分散は液体、気体、または固体の中で起こります。

これは、例えば水に塩を溶かした水溶液の状態とは異なります。

コロイド粒子は非常に小さものの、水に溶けている塩の分子よりは大きく通常1〜1000ナノメートルの範囲にあります。

窓から差し込む光で空気中にホコリが浮かんで見えるように、コロイド粒子が分散し安定している状態をコロイド状態といいます。

親水性コロイドと疎水性コロイド

コロイドには、親水性コロイド疎水性コロイドの2種類があります。

  1. 親水性コロイド: 親水性コロイドは、水と強く相互作用する分子を含むコロイドです。これらの粒子は水と結びつきやすく、水和によって分散しています。
  2. 疎水性コロイド: 疎水性コロイドは、水との相互作用が弱く水和しません。そのため電荷の反発によって分散しています。

電気二重層

コロイド粒子の表面には電荷があり、その周りには反対の電荷を持つイオンが集まります。

この構造は、2つの層から成り立っており、「電気二重層」と呼ばれます。

画像引用元:https://www.yamato-net.co.jp/product/detail/11165/

固定層: コロイド粒子の表面に密着するイオンの層です。この層はコロイド粒子の表面の電荷を中和するために反対の電荷を持つイオンが集まっています。この層のイオンは粒子に近い位置にあり、比較的固定されています。

拡散層: 固定層の外側に広がるイオンの層です。この層のイオンは粒子から離れるにつれて、液体中で自由に動ける範囲が広がります。

ゼータ電位

ゼータ電位とは、コロイド粒子の表面とそこから少し離れたすべり面との間の電位差のことを指します。

コロイド粒子の表面電荷と、その電荷を中和しようとする周囲のイオンとの電位差、ということは、つまり、コロイドと周囲のイオンとをセットにして、どれくらい電気を帯びているのか、ということです。

その電荷が大きければ大きいほど、粒子同士が反発し合う力が強くなり、コロイドが安定して分散する状態が保たれます。

凝析

凝析とは、コロイド粒子が互いに引き寄せられて集まり、沈殿する現象です。

これは、コロイドのゼータ電位が低下し、粒子間の反発力が弱まることで起こります。

具体的には疎水コロイドに少量の電解質を加えると、帯電しているコロイド粒子に電離したイオンが引き寄せられ、引っつくことでゼータ電位が低下します。

画像引用元:https://www.try-it.jp/chapters-9234/sections-9305/lessons-9352/

電気的に中和されたことで粒子同士の反発がなくなると、粒子同士はくっつき合い、沈殿するのです。

pHとコロイドの安定性の関係

コロイド粒子の表面の電荷が、周囲の液体に対してどの程度の反発力を持つかは、pHによる影響を受けます。

pHの変化とは、溶液中の水素イオン(H⁺)や水酸化物イオン(OH⁻)の濃度の変化です。

例えば、負に帯電しているコロイド粒子は、pHが高い(OH⁻の濃度が高い)環境では表面の負電荷が維持されやすく、粒子同士が強く反発し合い、コロイドが安定します。

逆に、pHが低下する(H⁺の濃度が高い)環境では、H⁺が粒子表面に吸着し、電荷が中和されることでゼータ電位が低下します。反発力を失った結果、凝析が起こり、コロイドの安定性が失われます。

したがって、コロイドを安定させるためには、適切なpHを維持し、ゼータ電位を高い状態に保つことが重要です。

ブドウ糖液で安定する理由

コロイドについて分かってきたところで、冒頭のフェジンをブドウ糖液で希釈する理由について詳しく解説していきます。

フェジンとは

フェジンは、鉄分の不足が原因となる貧血(鉄欠乏性貧血)の症状を改善するお薬です。

鉄は、人体にとって重要な元素です。

貧血=鉄分不足というイメージがあるように、血液内で酸素を運搬するヘモグロビンの成分として重要な役割を果たしています。

添付文書によると、その作用機序は以下のように説明されています。

フェジンに含まれる鉄は「含糖酸化鉄」という糖と結び付いたコロイド性の鉄剤で、体内に入るとまず「細網内皮系」と呼ばれる、主に肝臓や脾臓、骨髄にある細胞に取り込まれます。

これらの細胞内で鉄は徐々に放出され、次に「トランスフェリン」というたんぱく質に結びつきます。

このトランスフェリンが鉄を体内の必要な場所、特に骨髄に運び、そこで鉄はヘモグロビン(血液中の酸素を運ぶたんぱく質)の合成に使われます。

このようにフェジンは体内の鉄を補給し、鉄欠乏性貧血を改善する働きをします。

鉄コロイドの安定性

フェジンの有効成分である含糖酸化鉄は疎水性のコロイド性の鉄剤です。

コロイドについてが理解できれば、なぜ生理食塩水と混ぜてはいけないのかがわかるでしょう。

それは、生理食塩水には電解質が含まれているからです。

先に述べたように、コロイドの安定性にはゼータ電位が関与しており、pHがそれに影響を与えます。

生理食塩水などの電解質を含む溶液で希釈すると、イオンとコロイド粒子が結びつき電気的に中和して凝析が起こりやすくなってしまいます。

しかしブドウ糖液には電解質が含まれてないため、凝析を防ぎ、鉄コロイドの安定性を保つことができます。

コロイドとして安定しない状態、つまり鉄イオンが遊離した場合と比較して、コロイド鉄は体内でゆっくりと鉄を供給し、薬効が発揮されやすく、副作用が抑えられるのです。

関連特許

フェジンに関連した、含糖酸化鉄製剤に関する特許明細書(特開2012-051841 注射用含糖酸化鉄製剤)を読みました。

この特許は、保存安定性に優れ、フェジンとは異なり使用時に希釈せずに患者に投与できる含糖酸化鉄製剤を提供することを目的としています。

含糖酸化鉄剤が最も安定するpH 9〜10の範囲に保つため、アルギニンというアミノ酸が添加されています。

では、アルギニンはどのようなメカニズムでpHを保つのでしょうか?

明細書内には、『アルギニンは塩基性のアミノ酸の一種であり、その水溶液は緩衝作用がありpHを9~10のアルカリ性に維持できる』とあります。

 <アルギニンの構造式

引用元:Wikipedia

緩衝作用とは、pHが変動しようとする際にそれを抑える働きです。

アルギニンが緩衝作用を持つ理由は、アルギニンの持つグアニジノ基がプロトン(H⁺)を受け取りやすいからです。

 <グアニジノ基の共鳴構造>

まず、グアニジノ基のN(窒素)のローンペアがH⁺を引き寄せ、Nが正電荷を帯びた状態になります。

その後、二重結合の電子がH⁺を受け取ったNに移動します。

次に、正電荷が窒素原子間で移動し、二重結合の位置が変わって共鳴構造が形成されます。

このように、H⁺を受け取った後にできる正電荷は、共鳴によって3つの窒素原子の間で電子が移動しながら分散され(非局在化され)、分子全体がより安定した状態になるのです。

このメカニズムによって、溶液が酸性に傾きそうになるとプロトン(H⁺)を受け取ってpHを安定させるため、鉄剤の安定性が保たれます。

この含糖酸化鉄剤には、塩基性のアルギニンだけでなく、pHの微調整のために酸性の塩酸も添加されています。

また、この製剤にはスクロースも添加されています。

疎水コロイドである鉄コロイド粒子が互いに凝集しないようにするため、スクロースが分散性と安定性を高める役割を果たしています。

これらの成分により、長期間にわたって安定して保存され、使用時に効果を発揮することが可能になっているのです。

フェジン希釈時のブドウ糖濃度の選択

これまでの説明を踏まえ、次にフェジンの希釈に使用するブドウ糖液の濃度について詳しく見ていきます。

フェジンの添付文書によると、『用時10〜20%のブドウ糖注射液で5〜10倍にすること』とあります。

しかし臨床現場では、フェジンの希釈に5%ブドウ糖液しか使ったことしかないため疑問に思いました。

含糖酸化鉄製剤について明細書内には『コロイド粒子の凝集を抑制し、粒子の分散安定性を保つ観点から添加するスクロースの割合を10〜20%、好ましくは15〜20%である。スクロースの割合が20%を越えると、浸透圧が大きくなり、投与時の疼痛などの刺激性が高くなる。』と記載されています。

つまり、コロイドの安定性を得るには糖の濃度は高い方が好ましいものの、浸透圧が高いと投与時の痛みが強くなるため、コロイドの安定性と投与時の患者の安全を両立させるのには5%ブドウ糖液が適切なのであろうと思います。

注射の痛みと浸透圧については、こちらの記事でも触れています→ 注射用水から見る浸透圧

まとめ

フェジンをブドウ糖液で希釈する理由は、コロイドの安定性を維持し、体内で安全に鉄を供給するためです。

そして臨床現場で5%のブドウ糖液が使用されるのは、コロイドの安定性を保つためだけでなく、患者さんの安全のためでもあるとわかりました。

以前病院で働いていた時、フェジンが間違って他の点滴とセットでオーダーされているのを見たことがあります。

処方の責任は医師や薬剤師にありますが、何か間違いがあった場合には、薬を最終的に投与する看護師が最後の砦となります。

看護業務では、根拠に基づいた薬に関する幅広い知識が、患者さんだけでなく自分たちを守るためにも重要だと感じました。

参照

三島勇ほか. 上田壽監修. 水の化学. ナツメ社, 2001

卜部吉康 . 化学の新研究 . 三省堂 .2019

西山要.注射用含糖酸化鉄製剤.特開 2012-051841.2012-3-15.

生活と化学: https://sekatsu-kagaku.sub.jp/colloid.htm

GenomeNet:https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00053694

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