今回は、『溶血』という現象についてです。
溶血とは血球が壊れることです。看護師にとっては、「溶血=採血の採りなおし」というネガティブイメージの言葉です。
入院中の患者さんなら、謝りつつ採血しなおせばいいわけですが、在宅ではそう簡単にはいきません。
採血において溶血は、ちゃんとした検査結果が出なくなるというトラブルではありますが、一方で意図的に溶血を利用する検査項目も存在します。
この記事では、溶血とは何か、なぜ検査に影響を与えるのか、そして溶血を活用する技術について解説していきます。
溶血とは
溶血によるトラブル
溶血(Hemolysis)とは、赤血球の膜が破れ、中の成分が漏れ出す現象です。
通常、赤血球は膜に包まれていますが、何らかの原因で赤血球が破壊されると、赤血球内の成分が血液中に放出されます。
するとどうなるかというと、
血液検査では、溶血によって本来の値とは異なる検査結果が出る項目があります。
特にカリウムは赤血球内に多く含まれているため、溶血によって実際より高い値になってしまうことがあります。
冒頭でお話したように溶血が確認された場合は、数値が正確でない可能性が高いため採血し直すことになるのです。
前の記事での便秘に悩む高カリウム血症の利用者さんも、カリウムがあまりに高い数値だったので溶血が疑われ、採血し直していました。その記事はこちら→カリメート内服で便秘になる理由
また、体の中で溶血が起こることで引き起こされる疾患もあります。
その1つが溶血性貧血です。
溶血性貧血とは、その名の通り、溶血による貧血です。
何らかの原因により、血管内外で赤血球が寿命を迎える前に破壊されてしまうため、赤血球の数が減り引き起こされる病気です。
このように赤血球が壊れることで、検査値が不正確になるだけでなく、体にさまざまな影響を及ぼすことがあります。
溶血を利用する検査
検査データにも体にも悪い影響及ぼす溶血ですが、一部の検査項目では赤血球内の成分を分析するため、あえて溶血を起こします。
例えば、過去1~2カ月間の血糖値を反映し糖尿病指標となる、ヘモグロビンA1c(HbA1c)です。
この項目は赤血球内のヘモグロビンと糖の結合状態を測定するため、赤血球を溶血させて内部のヘモグロビンを取り出す必要があります。
この場合、溶血が検査に必要な工程ということになります。
こうした検査では、試薬によって赤血球を溶かし内部の成分を分析しますが、その際、界面活性剤が使用されることがあります。
界面活性剤とは
界面活性剤の構造・作用
界面活性剤(Surfactant)とは、水と油のように混ざりにくい物質を混ぜやすくする化学物質です。
その特徴は、ひとつの分子の中に「水になじみやすい部分(親水基)」と「油になじみやすい部分(疎水基)」の両方を持っていることです。

例えば、服に付いてしまった油汚れを水だけで落とすのが難しいのは、油と水が混ざらないからです。
化学的に見ると、水は極性分子で水素結合により強く結びつき、油は非極性分子で水と相互作用しないため、互いに分離している状態です。
でも、洗濯洗剤を使えば、水で油汚れを落とすことができますよね。
このとき何が起こっているのでしょうか?
ここで汚れに働きかけるのは、洗濯洗剤に含まれる界面活性剤です。

界面活性剤がまず汚れの表面に浸透し、汚れと繊維の間に入り込みます。
次に、界面活性剤の疎水基が油汚れになじみ、親水基が水に向くことで汚れを乳化し、細かい粒子状になり水の中に分散させることで、汚れが繊維から離れます。
そして再付着防止作用により、分散した汚れが再び繊維に戻るのを防ぎ、洗い流されます。
この仕組みにより、界面活性剤は洗剤やシャンプーなどの身近な製品に広く使われています。
界面活性剤の種類
界面活性剤は、分子の電荷の違いによって以下の種類に分類されます。
1. イオン性界面活性剤:水に溶けたときイオンに解離します。
• アニオン界面活性剤:水に溶けると負の電荷を持つイオンに解離します。
• カチオン界面活性剤:水に溶けると正の電荷を持つイオンに解離します。
• 両性界面活性剤:pHによって性質が変化し、アルカリ性ではアニオン界面活性剤の性質、酸性ではカチオン界面活性剤の性質を示します。
2. ノニオン性界面活性剤:水に溶けたときイオンに解離しません。
界面活性剤が溶血を引き起こすメカニズム
赤血球の膜はリン脂質二重層でできており、外側は親水性、内側は疎水性の構造を持ちます。

細胞膜は油分の層と水分の層と交互に配置する構造によって、油分の層が親水性の物質の侵入を防ぎ、水分の層で疎水性の物質の侵入を防ぎ細胞を保護しています。
ところが、界面活性剤は親水性の部分にも疎水性の部分にも浸透できるため、膜の防御機構を突破して、膜が崩壊され、赤血球内のヘモグロビンやカリウムなどが血液中に漏れ出します。
この作用を利用し、HbA1c測定などの検査では、溶血試薬として界面活性剤を使用し、赤血球内の成分を分析しています。
関連特許
以下の特許を読みました。
【公開番号】特開2007-163182(P2007-163182A)
【公開日】平成19年6月28日(2007.6.28)
【発明の名称】溶血方法および溶血試薬
従来の問題点
前述したように、糖化タンパク質(HbA1cなど)の測定には、赤血球を破壊して内部の成分を取り出すために溶血が必要となり、そのために界面活性剤が使用されることがあります。
しかし従来の方法では、溶血のために界面活性剤を使用すると、赤血球の破壊はできるものの測定に必要な酵素の活性が低下し、正確な検査ができないという課題がありました。
酵素活性と検査
特許が解決しようとしている問題を理解するために、酵素活性と検査、界面活性剤との関係を説明していきます。
酵素活性とは、酵素が化学反応を促進する能力のことで、一定時間内に基質(反応する物質)をどれだけ変化させるかを示します。
例えば、溶血が必要な検査項目であるHbA1cの測定には、イオン交換クロマトグラフィー法・免疫法・酵素法がありますが、この中の酵素法を用いる際に酵素と界面活性剤との相互作用が問題となるのです。
HbA1c測定の酵素法では、プロテアーゼなどの酵素を利用します。
このとき、イオン性界面活性剤を使用すると、タンパク質である酵素と静電的に相互作用し、水素結合などに影響を与えて立体構造を崩し、変性させてしまいます。
酵素の形が変化することで、本来結びつくはずの物質と結合できないため期待される反応を起こせなくなり、検査に支障をきたします。
そのため、HbA1cの測定では、溶血作用を持つだけでなく、酵素活性を維持できる界面活性剤でなくてはいけません。
問題解決のための技術
こちらの特許では、”迅速に完全溶血でき、且つ酵素活性への阻害もない溶血試薬として、HLB値11〜13範囲のノニオン界面活性剤活性剤”を使用しています。
ノニオン性界面活性剤
ノニオン性界面活性剤とは非イオン性の界面活性剤のことで、電荷持たないという特徴があります。
そのため、先に説明したようなイオン性界面活性剤のように、酵素の変性により酵素活性を低下させてしまうという問題は起こりません。
酵素活性を阻害しないので、検査に支障をきたしません。
HLB値11〜13
HLB(Hydrophilic-Lipophilic Balance)値とは、界面活性剤の親水性と疎水性のバランスを示す値です。HLB値が低いほど疎水性が強くなり油になじみやすく、HLB値が高いほど親水性が強くなり水になじみやすくなります。
水にも油にもなじんで異なる性質の物質を混ぜやすくする界面活性剤において、HLB値は、その界面活性剤がどんな環境でどう作用するかを決める要素です。
例えばHLB値が乳化にどのように関与するかを見てみましょう。

油と水を容器に入れると混ざらず分離します。
そこに界面活性剤を加えると、油と水が分離せずに乳化します。ただし、界面活性剤のHLB値によって、油と水のどちらに分散するかが変わります。
- HLB値が低い(疎水性が強い):水よりも油になじみやすいため、油の中に水を分散させます。(W/O型)
- HLB値が高い(親水性が強い):油よりも水になじみやすいため、水の中に油を分散させます。(O/W型)
このため、化粧品や食品、医薬品などでは、目的によって適切なHLB値の界面活性剤が選ばれます。
では、こちらの特許の界面活性剤の「HLB値11~13」は、どのような目的で選ばれているのでしょうか。
11~13はHLB値として真ん中辺りの数値で、疎水性と親水性のバランスの取れた界面活性剤ということになります。
特許の実験結果では、HLB値 10の界面活性剤は溶血力が弱く、HLB 値15~16.7のノニオン性界面活性剤も強力な溶血作用を持っていなかったと記載されています。
このことから、強い溶血力を持ちつつ酵素活性を維持するには、HLB値11~13の範囲が適していると示されています。
まとめ
・溶血とは、赤血球の膜が破れ、内部成分が血液中に漏れ出す現象です。血液検査の際、溶血により測定値が乱れることがありますが、意図的に溶血を行うこともあります。
・検査のための溶血に使用されることもある界面活性剤は、酵素活性を低下させてしまうことがあり、検査に影響を与えてしまいます。
・この問題を解決するために、特許の技術では HLB値11~14のノニオン界面活性剤を使用し、検査に必要な酵素活性を阻害せずに溶血を促すことで、正確な検査を可能にしています。
参照
岡庭豊.病気がみえるvol.5 血液 第1版.メディックメディア,2008.
特開2007-163182号, 「溶血方法および溶血試薬」, 2007年6月28日.
太陽化学株式会社 https://www.taiyokagaku.com/lab/emulsion_learning/03/
日本界面活性剤工業会 https://jp-surfactant.jp/surfactant/nature/index.html
日本石けん工業会 https://jsda.org/w/04_yakud/cleannote27.html
日本光電 https://medical.nihonkohden.co.jp/iryo/techinfo/hba1c_crp/hba1c.html